大橋2丁目西側エリア


徳川時代には幕府の御用屋敷で、明治維新から1945年まで陸軍の用地でした。そのため国有地を有効活用した 学校などの公的な施設中心の地域となっています。

駒場町会4部
国際高校避難所運営協議会




2010年に閉館した国民年金中央会館の「こまばエミナース」跡地に建てられた、淡島通沿いの 「プラウド駒場」(9階建て223戸)と「藤和駒場コープ」(31戸)のほかは一般の住宅はわずかです。


淡島通沿いに「駒場高校」、「駒場幼稚園」、「藤和駒場コープ」、「プラウド駒場」、「社会福祉法人愛隣会」と続きます。駒場幼稚園の前には目黒消防団第一分団の団小屋があります。


淡島通の信号機のあるところから南に向かう道は、「都立芸術高校」跡地、「駒場東邦中高校」への入口、「警視庁第3機動隊」前を通り、東邦医大大橋病院の入口に出ます。途中目黒区教育委員会による「目黒筋御用屋敷跡」の案内板があります。 2018年6月に大橋病院が新しい建物に引っ越し、歩行者は大橋から目黒川緑道を利用するルートが便利になったようです。 旧大橋病院の跡地には、東京建物による地上7階の賃貸マンションと、地上5階の分譲マンションが、共に2024年12月竣工予定で建設されます。その向かい側にはアパレル企業等の入る低層の新しいビルがあります。


愛隣会の施設には、「氷川ホーム」、「駒場苑」、「白寿荘」、「目黒恵風寮」、「目黒若葉寮」、「のぞみ保育園」があります。「目黒区立大橋えのき園」は氷川ホームと同じ建物になりますが 愛隣会とは別の経営です。 この地域にはお店が一軒もないのが特徴ともいえるでしょうか。


高層の公務員宿舎「大橋住宅」(総戸数227戸)がこのエリアの中心部となり、駒場高校のグランドを見下ろすところには天覧臺の碑があります。陸軍輜重兵第一聯隊のあった場所で、 陸軍乗馬学校が1892年から1916年に習志野に転出するまでの24年間ここにあり、その間に明治天皇が11回、大正天皇が4回卒業馬術天覧のため行幸したことを記録するもので、 1928年に建立され、戦後の混乱期に破損されましたが、1981年に復元されたものです。




公務員宿舎の建て替え時には大橋遺跡の調査が行われ、ここの土地の歴史が旧石器時代に遡ることが確認 されています。近世のものでは、御用屋敷の空堀、柵跡などの遺構も発掘されました。 公務員宿舎大橋住宅の自治会は駒場町会4部になります。


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