駒場3丁目


東京大学駒場Ⅰキャンパスが面積の大半を占め、その東側の住宅地と西側のキャンパスに接した住宅部分 のある地域です。山手通から一本西側の路地が三田用水のあったところで、その用水路が渋谷区と目黒区の境界であり、 渋谷川と目黒川の分水嶺ともいえる尾根なので、古くから武蔵野国荏原郡と豊島郡の郡界であったと思われます。
徳川時代は幕府の鷹狩場でしたが、明治維新になって1870年3月に在京諸藩兵隊・親兵諸隊・遊軍隊などからなる 総勢1万8千人が駒場野で演習を行い、満年齢で17歳であった明治天皇がこれを閲兵しました。 そのことを記念する石碑が1937年に、現在は駒場小学校の敷地となっている場所に建てられています。

駒場町会8部
駒場小学校避難所運営協議会




東京大学駒場Ⅰキャンパス


東京大学駒場Ⅰキャンパスは、教養学部、大学院総合文化研究科、数理科学研究科のあるキャンパスです。 東大に学部から入学すると、1・2年生は全員このキャンパスに通うことになります。
キャンパスの正門は駒場東大前駅東口と直接つながっています。 正門の扉にあるレリーフは、1935年にここに移転してきた、旧制第一高等学校の校章であった柏葉橄欖(かんらん)章で、 1949年に東京大学になってもそれを引き継いでいるのです。 正面の時計台のある建物は1933年に竣工したもので、本郷キャンパスの安田講堂や先端研13号館と同じ内田祥三の設計によります。





キャンパス内にある「駒場博物館」は一高時代に図書館として建てられ1935年に竣工したものです。 一二郎池とも呼ばれた駒場池は目黒川源流の一つであり、野鳥の姿もよく見ることができます。その北側には「東大駒場地区保育所」があり、キャンパス内で幼児たちの遊ぶ姿が見られます。


正門の東側、数理科学研究棟に向かう通路には、バラの小径と名付けられたバラ花壇があり、ボランティアにより管理されています。その先には梅林があり、井の頭線の踏切に向かう通路は梅林門と呼ばれています。踏切は1965年まで、東大前駅があったところです。


キャンパスの門は正門の他に、炊事門、梅林門、坂下門、西門がこのエリアに通じ、北側の渋谷区との区界になる幹線道路に面したところには 、裏門(幡ヶ谷折返所行きのバス停「東大裏」)と北門(バス停「二つ橋」)があります。

旧制一高時代の同窓会館を改装したファカルティ―ハウスの1階がカジュアルな 「ルヴェソンベール」。2階がフレンチレストラン「橄欖」で庭園のある雰囲気が人気です。


駒場東大前駅西口から


「駒場小学校」が東大のグランドに接してあります。駒場小学校は1933年に前田侯爵家から土地の寄贈を受けて建てられ、菅刈小学校の分教場としてスタートしてから、翌年駒場尋常小学校として独立しました。選挙の投票所ともなる他、 グランドゴルフや少年野球の練習に使われるなど、学校校庭開放がされていて、駒場の地域社会の大切な場所です。


坂下門の隣、東大生に長い間親しまれていた日本蕎麦の店「満留賀」は閉店し、その2階のお好み焼き・もんじゃ焼きの「楓」があります。 「DORA」、「コロラド」と並び、「駒場整骨院」、「美容室アトリエSea-Saw」、「ケアサービス駒場」、「早田美容」もあって 踏切の手前の「駒場小学校」の正門に続きます。踏切の横には1965年まで駒場駅があり、新宿行きのバスも走っていました。ホームの名残に気が付くでしょうか。


踏切の先の「ル・ルソール」は高級パンの店として人気です。抹茶を立てる「うつわとカフェLim」がその隣。上にはフランス語教室「エコールプリモ」があります。


山手通り側の住宅地


山手通りの松濤2丁目交差点から坂道を上ったところが、三田用水のあった渋谷区との区界になり、まっすぐ行くと東大の炊事門にぶつかります。「アルヴェール松濤」(5階建)から「枝光会駒場幼稚園」横でS字カーブの下り坂を下りる途中 の線路沿いにフラダンス教室もある「スタジオクレア」、その向かいに「リシェ駒場東大前」(6階36戸)があります。 地域に根付いた不動産屋「ネオスカイ」、デイサービスの「グリーンデイ」の前で井の頭線のガードになります。ガードをくぐらずにまっすぐ線路沿いに歩くと、東大の梅林門と踏切のあるところにぶつかります。 途中に「ザビエルハウス」があります。


世帯数480 人口871(2021年11月)


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